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zoom RSS 台湾軍司令部の日中戦争

<<   作成日時 : 2006/08/21 20:32   >>

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市民社会フォーラムにも載せました論説です。日中戦争勃発時の台湾の植民地当局の独自の対応についての論説です・
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 1930年代中葉、日本海軍と陸軍は、南進か、北進かという侵略の路線の違いをめぐって争っ
ていた。この頃、台湾はいわゆる文官総督の時代であったが、海軍の高揚する南進論を背景
にした、台湾における在郷軍人会などを中心にした政治的キャンペーンによって海軍大将・小
林躋造が総督に就任したことで、日本の台湾支配は一つの転機を迎えた。彼の政策の柱は
三つに要約される。「南進化・工業化・皇民化」である。彼は、内地と台湾を一体化させるため
に、日本における台湾の役割の変化を、内地の財界人に強調した。それは日本資本主義の
「米蔵・砂糖蔵」としての位置から、日本にとっての「南方の玄関」としての役割への転換であ
り、そのために彼は皇民化運動の重要性を強調した。彼の言う皇民化運動の目的とするとこ
ろは、「南方の玄関」を担う者に「恥じない教養持つ者」に本島人や原住民を教化することであ
った。

 さらに、皇民化運動のもう一つの目的がある。それは、台湾の大多数を占める漢民族に対し
て、大陸との精神的な紐帯を断ち切ることであった。それは、日中戦争の勃発に際して、総督
府が、台湾の民衆に対し常に抱えていた極度の不信感が増幅されることで、より一層の思想
の監視、習俗習慣の監視の衝動にかられたことを意味する。

 この不信感は、台湾軍司令官畑俊六が、日中戦争勃発後、「不拡大方針」を採る日本政府
に対して、戦闘拡大を具申したことからも読みとれる。そして日中戦争こそは台湾の日本の支
配層が、被征服民に対しての不信感や恐怖感を増幅させ、台湾における総力戦体制の完成
を急進的に進める契機となった。

 彼らは、日中間の戦争が長引くことで台湾の大多数を占める客家や福老人など、大陸系の
住民が、大陸復帰への希望を抱くことへの恐怖感をもっている。このことは、陸支密における、
台湾軍司令部の文章にも明確に表れている。

 つまり、台湾における日本の支配層は、自らの支配を維持するためにも徹底して中国軍をた
たくことが必要だと感じたわけである。

 さて、日中戦争における戦線の拡大が、台湾の日本の支配層の本国政府への要求であると
したならば、台湾社会内部に対して日本の支配層が本島人たちに求めたことが、「内台一体」
というわけである。そのために台湾総督府は皇民化運動を進めた。

 組織的には、台湾における在郷軍人会や、総督府によって統合された新聞、そして国策団
体などが中心になる。具体的には、神社への参拝と台湾社会の習俗習慣の否定、メディアで
の中国語廃止、そして戦争協力的な言辞を含む文学表現の強制である。かくして、台湾は、そ
の後、国策団体の設立、そして志願兵制度の採用と突き進んでいくわけである。

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