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zoom RSS 大杉栄と石川啄木

<<   作成日時 : 2006/08/22 02:18   >>

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石川啄木、そして大杉栄、


 春三月 縊り残され 花に舞う    大杉栄

 朝鮮国に 黒々と 墨を塗りつつ 秋風を聴く  石川啄木
 
 大逆事件、そして朝鮮への植民地支配。対外侵略と 国内での 過酷な弾圧に突き進んだ20世紀初頭の日本。この二人の歌は、 それぞれのポジションで、それぞれその時代の中で、「当事者」 であろうとした姿勢がうかがえる。

 大杉の歌は、幸徳秋水の死刑に際して歌ったものである。このころ、大杉は、保護拘禁という形で、すでに獄中にあり、大逆  事件には関わっていない。「縊り残され」というのは、同志たちが殺されてゆく中で、取り残された、とかいうように読みとれるが、それだけではないだろう。自らが拘禁中の身で、こうした弾圧に際して、何らのアクションもとれなくなっている自分、あるいは自らが闘いに加われないでいる状況をうたったものである。

 啄木の歌では、彼の極めて鋭い批評精神の一端をこの歌に盛り込んでいる。「墨を黒々」というのは「滅亡」「消滅」を想起させるものであり、「秋風」というのは秋という季節に関するイメージから「凋落」というようなイメージが浮かぶだろう。
 朝鮮という国を「滅亡」に追い込んだ日本への批判や、朝鮮へのシンパシー、と言う読みはかなり簡単におもいつくだろう。しかし、同時に朝鮮国を「滅亡」させた日本自体の「凋落」というものを彼が意識していたとしても何ら不思議ではない。彼の中で、その当時の日本がどのように映っていたのか。今のところこの点について確証することは不可能であるが、象徴的な文章を紹介しよう。

 「『大きい手が欲しいね、大きい手を』突然私はさう言った。…『大きい手』か!…「君ならそれじゃあ、何と言ふ?」「僕か?僕なら、ーー要するにどっちでもよい話だがね。ーー僕なら然しさうは言わないね。第一、考へて見給へ。「大きい手」といふ言葉には誇張が有るよ。誇張はつまり空想だ。我々の手といふものは、我々の意志によっておおきくしたり小さくしたりすることは出来ない。…『つまり大きい手や大きい身体は先天的のものだ。露西亜人や亜米利加人は時としてそれを有ってるね。ビスマアクも有っていた。然し我々日本人は有たんよ、我々が後天的にそれをほしがったってこれあ畢竟空想だ。不可能だよ。」「我らの一団と彼」『啄木全集第3巻』
 
 近代において日本人はロシア人やアメリカ人のような大きい手や大きいからだをほしがりつづけていたのではないだろうか?そして金輪際大きい手や大きい体は手に入らなかった。かつて小熊英二が紹介していたが、日本が台湾を領土にしたとき、白人のように身体的な優位性を原理として支配することは不可能であったという。日本人の当時の体躯は、当時の中国人に比べても貧弱で、優位性などを発揮することはできなかった。ではアジア諸地域との優位性はどこに求めたのか?政治制度?文化??福沢諭吉は、日本を「半開」とし、「文明」と「野蛮」の中間に位置づけた。この位置づけ方からして、日本人の世界の中での自己認識の一端がうかがえるだろう。
 大きい手や身体など持ち合わせてはいない。大きい政治制度、文化など持ち合わせていない。そういうふうなコンプレックスが根底にあり、それをのりこえようとするからこそ、空虚な空威張りが横行した。さきほど紹介した大杉の同志、幸徳秋水もまた日本の帝国主義の特徴を「空威張り的、飴細工的、軍人的帝国主義」とよんでいたが、まさに「空威張り帝国主義」の源泉は、上記のような自己認識ではなかったか?(なお漱石も『それから』の中で、日本の将来の滅亡を予感させるような文章を書いています。)

 朝鮮を侵略し、我がものにしたことで日本は1911年にある種の自己肥大化の欲求を果たそうとした。それは領域や政治、経済の肥大化のみを指しているだけではない。それは、「大きな手」を手に入れようとして一生懸命、空想的に念じている姿であり、実はなんら大きくはなっていない姿でもある。そしてその願望自体が啄木には空虚に感じられ、朝鮮へのシンパシーとともに、日本の将来に関しても「秋風」を感じたのかもしれない。

 他方で彼もまた、日本の侵略に際して朝鮮の人々と手を結ぼうとした人でもある。


雄々しくも 死を恐れざる人のこと 巷にあしき噂する日よ

友も、妻も、かなしと思ふらし− 病みても猶 革命のこと口に絶たねば

 「死をおそれざる人」とは伊藤博文を暗殺した安重根である。
 彼自身、安重根に対してかなり共感していたようである。そして、彼の行動を「義挙」としてとらえた啄木の心情がうかがえる。

日本の侵略を食い止め、そして、日本の近代を問い直した啄木の鋭い感性が光る、一連の俳句、短歌である。

少なくともこうした心情は、多かれ少なかれ、明治末期の文化人、知識人にはかなり広く共有されていたのだろう。むろん、大杉も、幸徳秋水も。そして、漱石もまた、日本の近代の正体をみやぶっていた一人であることはまちがいない。また逆説的に福沢諭吉も、日本の近代というものを、暴露していた一人であるといえよう。(彼の場合、日本の世界での位置を乗り越えるために、アジアに優越する日本を構想してしまったのだろう。)

最後に。

グローバル化の中での日本における、「日本人」の自己認識とは?「大きな手」を空想していないか?そして「その大きな手」とはジョージ・ブッシュの大きな手だったりはしないか?



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
「何を教えるか」で書く予定ですが、今の人格破壊を呼んだ文部省の政策は明治から始まっていました。
折角育っていた、心学を廃して、テクニックのみに走りました。それが現在を創ったのです。
Hbar
2006/08/22 19:58
 数ヶ月でブログは放棄されているようですが、検索を
するとヒットするので、間違った箇所に関して指摘をしておきます。
 大杉栄は1908年6月の無政府共産を掲げた赤旗事件で
獄中に居たのは1909年11月29日までで、幸徳が処刑された1910年1月24日は堺利彦と共に獄外にいました。
 三月の同志たちとの茶話会で詠まれたので、処刑の時点ではありません。
 また「保護拘禁」などという語は存在していません。
 
futei
2009/09/18 09:16

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