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歴史教育 「実感の現実性」との対決 僕自身の研究対象が植民地支配なので、かつてとんでもない帝国主義国だった日本(今も政府がそのことに反省しているとは言えませんが)の現在の歴史教育についても関心があります。 そして日本とかなり似た歴史経験をもっているのがドイツですが、そのドイツの教育実践について。 池田浩士『虚構のナチズム』の中に、戦後ドイツの、教育実践において苦悩する教師の姿が書かれています。 1981年に、ドイツ最大の教職員組合「教育・研究労働組合」から一冊の教育実践についてのパンフレットが発行されました。その名も『忘却に抗して』。 そのパンフによれば、教員たちの、「ファシズム、侵略戦争をくり返しては行けない」という教育に対する子どもたちの拒否反応が激しく起こったようです。わざと、反ユダヤ的な替え歌を歌ったりとかして授業妨害をするわけです。 そこで、教員たちも、思い悩むわけですね。「なぜ拒否するのか、どうしたらまともに教育できるのか」を。 そうした悩みを紹介した上で、一つの、教育実践を紹介するわけです。それは子どもたちの拒否反応を一定解消するものであった、というのですね。ちなみにこの教育実践は、ドイツの高等中学校(ギムナジウム)、日本では高校にあたるところの第10学年、つまり高校一年での教育実践です。 その学校の教員はこう考えるわけです。「ファシズムがだめだと教える教育をするときに、子どもたちに管理的、抑圧的な教育をしてはだめだ。反ファシズム教育は、教育実践が民主的に行われないといけない。」 そで紹介されているのは、ある高等中学校(ギムナジウム)での女性教員の教育実践なんです。一言で言うならば、双方向の授業なんですね。 つまり、あれこれの事実をいきなり教員が教え込むんではなく子どもたちに様々な疑問をなげかけるわけです。 まず、「第二次世界大戦前の世界全体におけるユダヤ人の総数はどれくらいだったでしょう。」 a,200万 b,1700万 c,4600万 d,約一億人 答えはbなんですけど、この問いのねらいは、ナチスが殺したユダヤ人が600万ということを考えたときにものすごい衝撃をあたえるということなんです。なにせ全世界のユダヤ人の3人に1人をころした計算になりますしね。 さて、もう一つの問い。ヒトラーの言い分では、ユダヤ人は世界の脅威になっているから殺してしまえということです。(これ自体許せるものではないですが) そこで、「1930年のユダヤ人のドイツの人口に占める比率は?」という問い a,30% b,10% c,5% d,1% 子どもの多くはaと答えました。しかし正解はdです。 (6300万のうちの56万4379人、0,9弱%です) そのうちドイツ国籍をもっていたのはその56万のうちの80%くらい。総人口の0,72%です。 子どもたちは驚きを隠せない。わずか1%に満たないユダヤ人がなぜ脅威と感じられたのか? 600万人のユダヤ人はどこから来たのか? そこで、アウシュビッツは嘘だという主張が出てくることを知るとともに、ドイツの周辺諸国への、ドイツの加害を発見するわけです。 実は、この教育実践には続きがあって、子どもたちは大人にも同じようなアンケートをしてるらしいです。(しかも自発的に、自分の家族とか近所の大人とかに) 池田氏は、この子どもたちの大人へのアンケートについて、「こうしたアンケートをかれらが思い立ったこと自体がおとなたちもまたこのような低い比率を想定してはいない」という予測があったからだろう。この低い数値からかれらがうけた衝撃と驚きは、それほど大きかったのである。」と述べています。 いずれにせよ、この教育実践のねらいはこういうことです。つまり、ユダヤ人迫害の事実に関して、いかに多くの人が、いかに不確かな先入観を持っているかと言うことを自ら発見するということです。 しかし、この教育実践の意味はこれにとどまりません。この教育実践は、忘却との対決のみならず今も残る、ナチスが残したイデオロギー的な残滓と対決することを究極の目標にしているのです。 つまり、ナチスは、ユダヤ人が世界資本主義を牛耳っているから、だめなんだといって、虐殺したわけですね。しかしナチスが脅威といったユダヤ人はそれほど数は多くないし、多様な生き方をしている存在です。別段金融とかで設けている人だけがいるわけでは勿論ありません。 結局、ナチスは「ドイツの労働者の雇用をユダヤ人が奪ってる」とかいって攻撃したわけですよね。つまり第1次世界大戦後の悲惨なドイツ人の状況からくる不安につけ込んだわけです。 そして、ユダヤ人へのテロルをおこないながら、ドイツ人には軍需産業などで、かなりの雇用を創出したわけです。 もう一つ、データがあります。これは1951年のドイツでの世論調査で、「あなたが一番安定していたと思う時期は?」というアンケートの結果なんですが、一番多いのが1933年から39年なんですね。 つまり、戦争前、ナチスが労働者に雇用を創出していた時期です。この「思い出」がその前の悲惨と、戦争による悲惨との狭間で、「光り輝く実感」をもってしまってるんですよね。そしてその実感が、ある種の「現実性」のあるものだとさえ思い、51年の世論調査や、81年の、子どもたちや大人の、ユダヤ人のドイツ人口での比率は、という問いへの答えにつながってくる。 池田氏はこうした「現実性を伴ってしまった実感」「主観的な実感のあまり、先入観が現実性をおびてしまった」ことを「実感の現実性」と表現しています。 まさに、この「実感の現実性」との対決をこの女性教員は試みたわけです。 こうした「実感の現実性」は日本人はもっていないだろうか?「大東亜戦争は、自衛戦争だ」とか「日露戦争はロシアへの自衛戦争だ」とかいう言説、「北朝鮮脅威論」とかいう言説が一定受け入れられるのは、何らかの先入観に基づいた「実感」があり、その実感が、現実性を帯びてしまっていると言うことなのかもしれない。 たとえばその先入観というのは「ロシアは怖い国だった」とか、「北朝鮮は怖い」というものでしょうね。 例えばこうした実感は、1930年代の貧しい国民の生活とか、総力戦の中で統制された経済生活とかから来てるのかもしれません。北朝鮮の場合、直接的にはテポドンとか拉致というところからきているんでしょうけど・・・。 このような、被害感情のみに基づいた実感では、なかなか「加害」を発見することは難しいでしょう。 大事なのは、このドイツでの経験では、子どもたちは、自らの力で、より高い認識にたどり着いたということでしょう。みずから、先入観をうちやぶっていった経験は、単に一方的に話を聞いた経験より強いでしょうから。 まさに、「実感」を、みずから、しかも他者との関わりの中で、対象を科学的に見つめることで乗り越えていったわけですから。 日本では、こうしたことがやれる土壌がますますなくなっています。特に大学以前の教育現場では。やはり教育の民主化が必要です。 ぜひ教員にも頑張ってほしいです。 そして、いまや、こうした、自らの認識を他者との関わりの中で乗り越えていく経験ができるのは大学でしょう。しかし、これも厳しくなっています。ますます、この大学での「自主的な学び」を守る必要性を感じました。 |
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こんにちは。新着から入りました。暑いですけどお互いにいいブログを作りたいですね。うちにもどうぞお越しください。 |
msn1917 2006/08/22 03:53 |
ドイツでの実態把握、面白く読ませて頂きました。 |
Hbar 2006/08/22 12:05 |
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