再び載国煇から

『台湾と台湾人』研文社、1979年より

第4章「植民地体制と知識人」より

 「・・・日本帝国から強いられた中国大陸との切断策の効果をより一層加乗させた。。そのために過去の局面で、中国の国民国家形成への「近代」的志向とは、かなりの断絶を余儀なくされ、現在の局面においては、価値の転換以前の価値の移行(もしくは回帰)の家庭をより複雑にし、かつては外力から強いられていた分裂が、いまや自らそれにノッかかっていくけはいさえ存在する有様である。」

 「台湾出身エリートの多くは光復当初、自分らのもつ被植民地統治の価値体系が、大陸の他の諸省の価値体系と同質のものとかんがえていたふしがある。否、異質であるという自覚を最初から知覚する余裕も、主体性も、われわれの先輩はもちあわせていなかったのが真実の姿である。」
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 全く同感。日本帝国に包摂され、接合された状態での近代化という台湾社会の歩み!

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 日本的価値観を、光復後も、ほぼ自動的に表に出してしまうような状態がある一方で、敗戦後、かなり前のめりに国民党政府に絶大なる期待をしてしまうような状況も存在していました。そしてこの一見相反する2つの価値観は、日本の植民地支配の時代にすでに共存関係にありました。

 日中戦争勃発後、日本は即座に大陸との分断政策を台湾にしきました。その結果中国語はメディアから追放され、作家の文学表現は日本語に限られたのです。ただ、他方では、植民地住民も日本がいつづけることを肯定していたわけでもありませんでした。しかし同時に、日本が自分達の上で支配しつづけることを前提にものを考えざるを得なかったのも事実です。さらに半世紀に及ぶ支配の中で、本島人の中でも左派に属する人々であっても、日本からの離反という方向ではなく、日本人労働者、そして後には、労働者を監視する立場の日本人であっても「話のわかる日本人」とも連合することを模索したものです。

 そして、日本人とともにいるという路線は、現実には1945年の帝国の崩壊とともに、選択肢から完全に外れるわけですが、イデオロギー的には日本的なるものは継続してしまいます。そして他方では、短い間ではあっても国民党政府への同化をみずから求めていくのでした。

 植民地支配下で活躍した台湾人作家の中でも著名な人々が国民党政府に対する熱烈な賛意を表明します。

 楊逵の「青天白日旗」や龍瑛宗の「燃える女」などがその典型です。

 しかし、その熱狂が失望に変わったとき、本省人たちによる1947年2月28日の行動というのは、君が代、日本刀、日の丸の鉢巻という日本帝国を象徴するようないでたちで国民党に挑戦したというものでした。

 極めて複雑でねじれた、アイデンティティ形成のあり方に加え、激動する現実の中で、翻弄され、本省人たちは国民党の異質性であるとか、悪さというものを的確に見抜き、的確に戦っていくような戦略も持つことができず、国民党独裁政権のくびきのもとにおかれたのでした。
 

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この記事へのコメント

2006年09月14日 07:27
蒋介石率いる国民党は、元台湾島民にとっては日本人と同じく異邦人であったろうと考えます。日本人は、単なる亜熱帯の島に文明を持込み、島民の生活を一変させました。国民党は日本の残したインフラを使い自分達は大陸人を強調したので、島民は違和感を持ったのだと思います。

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